スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2021の投稿を表示しています

Hさん控訴陳述書

  最後にご長女Hさんの陳述書です。    仙台高等裁判所   民事部御中                          2021年 5 月20日                       控訴人 猪狩●●●     控訴審陳述書     判決が事実をみていないことは、母が自分の控訴審陳述書で述べていますので繰り返しません。私は救急医療における時間の大切さについて述べさせて頂きます。     父は症状が出現してから蘇生処置をするまでに時間がかかった、また、防護服を着たまま何分も苦しみ、意識不明の状態であったと聞きました。心肺停止から 1 分ごとに救命率は 7 〜 10% 低下すると言われています。私は医療従事者の一員として日々人の命に携わって仕事をしています。毎日の医療の場で救命医療の際には人の命は 1 分 1 秒も無駄にできない、一刻を争う事態なのだと深く学び、身に染みて感じています。実際に素早い蘇生を行われたことにより生存し退院する患者さんも見てきました。また、 8 月には私の祖母が深部静脈血栓症による肺梗塞で倒れました。呼吸停止、意識不明の状態の祖母を発見した叔母が咄嗟の判断で心肺蘇生を行ったことにより、一時は集中治療室に入っていた祖母も今ではデイケアに通い生き生きと毎日を過ごしています。たとえ、数分の遅延とはいえその数分がいかに貴重であり、直接的に生命に関わってきているのだということを東電と宇徳に知って欲しいです。  大好きな父の死が無駄にならないように、今後同じ悲しみを受ける人がいないように、私は真実を知り事実を明らかにして被告に責任を取らせていきたいです。この裁判によって、一労働者の生命の尊さを企業が真摯に考えるきっかけになればいいと考えています。  高等裁判所におきましては、公正な判断をくださるようお願い致します。                                                                                          以上

Kさん控訴陳述書

 続いてご長男 、Kさんの控訴陳述書です。  仙台高等裁判所 民事部御中          2021年5月20日             控訴人 猪狩●●   控訴審陳述書   1 東京電力は、父が死亡した半年後にスマホを全作業員に配布しています。 スマホを財政上の理由で配布できないという主張が、東電の詭弁であることを明らかにするため、 私は本人尋問で、父が亡くなった後に 1Fで稼働する全作業員に東電がスマホを貸与している報道がインターネット上で行われている事実を証言しました。 しかし判決は証言を取り上げないで、 「作業員に対して、携帯電話等の通信機器を支給するのは、相当な維持費の支出や管理が必要となる」として、東京電力の詭弁を擁護しました。   また、証人尋問予定であった森氏の陳述書に、父がER室に入室した13時10分直後に AED を試みたという記述があります。しかし、実際に AED が試みられた時刻は、森氏が陳述書に添付した資料には、入室から19分も経過した13時29分とあります。スマホを配布しない財政上の理由の件にしても AED の件にしても、偽りについては偽りであると、判決が述べるべきでした。   2 スマホを被ばく労働の現場に持ち込むことには抵抗があります。 私は、東電が「傷病者発生の連絡カード」を配布し、傷病者が発生した場合には事前に救急医療室に架電するよう指導したことに関連して証言しました。 私は証言でも述べましたが、積極的に自分のスマホを被ばく労働の現場に持ち込む人は少ないと思います。東電が作業員にスマホを配布せずに、父の倒れた時のようにスマホを持つ人が誰もいなければ、東電が作業員に所持を義務付けた、ER室の電話番号が二つ書いてある「傷病者発生の連絡カード」の意味がありません。判決は、傷病者発生の連絡カード」を皆に持たせて形だけ整えれば、救急医療体制に問題ないとしているような気がします。 高等裁判所におきましては、地方裁判所の誤りを正して公正な判決をくださるようお願いいたします。                                  以上

控訴審陳述書 Aさん

  Aさん(猪狩忠昭さんのお連れ合い)の控訴陳述書です。  以前に載せた第一回口頭弁論での陳述に先立って提出したものです。時系列が前後しますが、裁判の争点が分かりやすくなると思いますので順にアップして行きます。 仙台高等裁判所 民事部御中           2021年5月20日             控訴人  猪狩●●●      控訴審陳述書   1 東京電力が財政上の理由で携帯電話を配布できないと言いながら、実際には全作業員に配布したことについて 東電は福島地裁いわき支部における裁判で、財政負担の増加を理由に作業員へ緊急時用の携帯電話を配布しないことを正当化していました。 これに対して私は本人尋問で、夫が過労死した半年後の 平成30年4月には、1Fで稼働する全作業員に携帯電話を貸与している報道が、インターネット上で行われている事実を証言しました。さらに、長男も10分間の短い尋問時間をさいて、この事実について証言しました。 東電が言う財政上の理由が言い訳に過ぎないことを私たちの証言で明らかにしたつもりでした。ところが 判決文は、「作業員に対して、携帯電話等の通信機器を支給するのは、相当な維持費の支出や管理が必要となる」として、東京電力が福島第一原発で働く作業員に対して緊急連絡用の携帯電話を配布しなかった言い訳をそっくり認めました。これは明らかに事実に反した認定です。   2 サーベイ準備が一般的な時間よりも2~3分多くかかり、その結果治療も遅れたことについて 判決文は、「亡忠昭が除染室に到着してからの処置に特に遅れがあったとはいえず、・・・」としていますが、実際は処置に遅れが生じています。 証人尋問予定であったM氏の陳述書に、「サーベイ実施自体にかかる時間は10秒から数十秒程度」、「サーベイ員が傷病者の発生の連絡を受けてから除染室に入るまでには一般的に約2、3分を要する」と書いてあります。 サーベイ員が連絡を受けてから除染室に入室するまで2,3分程度であることを考えると、13時03分に森氏から連絡を受けたサーベイ員は1 3 時05分から13時06分に除染室に入室可能であり、その後サーベイを行っても、少なくとも夫は、1 3 時07分から1 3 時08分には救急医療室に入室できるはずです。しかし、サーベイ員が

遺族の陳述②

 続いてご長男Kさんの陳述書です。 仙台高等裁判所第 2 民事部御中                                                     2021 年 9 月 16 日                                                                   控訴人     猪狩●●                                 控訴審意見陳述書        父が亡くなってから、もう 4 年の月日が経とうとしています。  ようやく家族で笑いながら父の思い出話も出来る様になった気がします。  そうなれたのも、父の周りの友人や仲の良い職場の方などの話で、父の姿や人となり、周りに愛されていた父を知ることが出来た事、僕たちには見せなかった父のいろんな顔を教えて頂けたからです。とても感謝しています。そのお陰で、今は家族全員で前に進めてる気がします。  現在私は地元に戻り、車を走らせる事が多くなり、次第に車に興味を持つようになりました。父が生きていたら、整備士である父と、どんな話で盛り上がったのかな?と、最近はそう思うようになりました。父が残して行った車を、修理しながら今も大事に乗っています。壊れるまで乗るつもりです。そして私の運転で、いろんなところに連れて行きたかった。それが何より心残りです。    次に、私が福島地裁いわき支部の判決で不服に思った点を述べます。  私は 2017 年 12 月 4 日、母と叔母と 3 人で青森市に出向き、父が倒れた当時の ER 室の医師に面会しました。面会の時の録音もあります。  医師の説明では、「あの日は急に壁が叩かれ、 …… 事前連絡が無かった為、治療にあたり準備を行うことが出来なかった。」という事でした。 ER 室に事前に電話連絡が出来なかった為、治療準備が遅れたと言う事です。    私はこの時の医師の説明を今年 3 月 1 日にいわき支部で証言しました。母も医師から聞いたことを証言しました。しかし、いわき支部の判決文は医師の説明を無視して「除染室到着後の治療に遅れはない」と断言しています。普通に考えて治療準備が遅れれば、治療開始も遅れるのではないでしょうか。    また、宇徳に安全衛生管理責

遺族の陳述①

 第一回口頭弁論での遺族Aさんの意見陳述をアップします。 以下 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 仙台高等裁判所第 2 民事部御中                                                             2021 年 9 月 16 日                                                                       控訴人    猪狩●●●                                     控訴審意見陳述書   4 年前の 9 月に夫は、連休を使って電車で家族に会いに来たことがありました。  土浦駅まで迎えに行った時、助手席の窓から顔を出し、夫の姿を探す愛犬の後ろ姿があまりにも可愛くて、思わず写真に収めた事を思い出します。駅の階段を降って来た夫の姿を見つけるや否や、しっぽを振りまわし、耳を下げて喜んでいた姿を今でも忘れません。  夫も 1 ヶ月ぶりに会う愛犬と、楽しそうに戯れていました。まだ昨日の事のようです。  我が家にやって来た時から 8 ヶ月間、夫と暮らした愛犬にとって、夫は今でも一番大好きな人に違いありません。 夏が終わり、空が高く青く、一年で一番好きな季節が来ると、最後に会った日の夫を思い出し、辛くなります。     今生きていれば 61 歳。仕事も辞めてのんびり暮らしていたのでしょうか。  休みの日も早起きの夫は、きっと私や子供たちの車を常にいじっていたんだろうと思います。  夫がいなくなってから、車のメンテナンスが、こんなに大変だったと知りました。  いつも私の車を整備してくれた事に本当に感謝しています。  そして、運転が上手になった子供達の車に乗るのは、何よりの楽しみだったでしょう。  私は今、自身の仕事がコロナ禍で自粛されている為、看護師で忙しい娘にお弁当を作ったり、ご飯を作ったりする時間を持てています。何を作っても、これも夫に食べてもらいたかった、あれも食べてもらいたかった。そればかり考えます。本当に何でも美味しそうに食べてくれる人でした。その時の笑顔はや

驚きの高裁・口頭弁論報告

  9月16日、仙台高裁において第一回目の口頭弁論が開かれました。  すでに複数の方が、facebook等に報告記事を書いてくださっているので若干色あせた報告にはなってしまいますが、タイトルにあるように驚きの口頭弁論の場となりました。長文ですが、当日の雰囲気を知って頂きたいので、なるべく裁判長の発言はメモを起こしたものを載せます。  朝10時すぎより、高裁前の公園に集まり、マイクと横断幕・プラカードをもってアピール行動を行ないました。東京から全国一般労組全国協議会の平賀委員長や、追及する会の共同代表である飯田さん(東京労働安全衛生センター事務局長)たちも駆けつけてくれ、アピールに力が入ります。福島からも狩野共同代表と双葉原発反対同盟の石丸さん、いわき自由労組、福島連帯ユニオン、ひだんれんの仲間も駆けつけてくれました。地元の宮城からも全労協や宮城合同労組の仲間たち10名近くが駆けつけてくれ20名以上の参加でアピール行動に臨むことができました。  11時から大法廷での弁論が始まります。  まずは、原告・控訴人である遺族のお二人(猪狩忠昭さんのお連れ合い、息子さん)が意見陳述を行います。  おふたりは、「事前に連絡がなかったので慌てた」とER(救急医療室)の医師(当時)が証言したことや、東電が配布した「連絡カード」にERの電話番号が書かれているのに誰も携帯電話を持っていなかったことを述べ、「作業員の命を軽視しないで下さい」と原発労働者の環境改善を訴えました。  さて、ここからが驚きの展開でした。  小林久起裁判長は地裁判決に触れながら「いわきオールの責任が明らか。その職場を提供していたのが東電と宇徳」と前置きをして、全員に語りかけるように話はじめました。  ERの医師がカルテに『ドアが叩かれ(連絡なし)』と記載していること、猪狩さんが『数日前から胸が苦しいと言っていた』と書かれていることも「同僚は知っていた。そうでないと医師はカルテに書く事ができない」と述べました。  猪狩さんが過去に手術を受けた病院の医師の意見書を示し、「外来診察時、主治医のカルテのなかで『仕事がかなり忙しい。胸が痛むことがある。』とある。主治医でも仕事がかなり忙しいことを知っている」と指摘。  東電・宇徳が提出した「死亡当日の経緯」を示しながら「『13:03 作業員らが除染室に連絡し、ERの職員が物音

9月16日 仙台高裁で口頭弁論が始まります!

東電と元請け宇徳の責任を問おう!          控訴審勝利に向け、遺族と共に闘おう!   先にお知らせしたとおり、福島地裁いわき支部は今年3月30日、猪狩忠昭さんの雇用者いわきオールと当時の社長夫妻の過労死責任を認定し、損害賠償を命じる判決を下しました。その結果、前社長夫妻が会社と自分たちの過労死責任を認め、遺族に文書で謝罪し、賠償金を支払いました。このことは皆様方からの物心両面でのご支援の賜物です。猪狩忠昭さんに長期間の長時間労働を強いた雇用者に対する全面勝利と言えます。まことにありがとうございました。  しかしいわき支部は一方で、廃炉作業に従事する労働者の健康管理及び救急医療体制構築を担う立場の東電と元請け宇徳の責任を一切認めませんでした。 いわき支部の東電と宇徳を免責する判決に抗して、遺族は仙台高等裁判所に控訴しました。控訴審勝利のため、引き続きご支援願います。   -控訴審、第1回口頭弁論- 日時 9月16日(木)  仙台高等裁判所101号法廷 10 時 30 分~  裁判所前でアピール集会 11 時~ 口頭弁論開始  原告が意見陳述を行います。 終了後、近くの会議施設で報告会を行います  

「被ばく労働を観る、聴く、考える」のご案内

 7月25日、土浦で茨城不安定労働組合主催の「被ばく労働を観る、聴く、考える~映画『原発はいま』の上映と元原発労働者のお話~」という企画が行われます。  この企画では、過労死裁判の原告(遺族)も発言させて頂く予定です。  お近くの方はぜひご参加ください。 以下は 茨城不安定労働組合  Blogからの転載です。 被ばく労働を観る、聴く、考える~映画『原発はいま』の上映と元原発労働者のお話~  被ばく労働を観る、聴く、考える~映画『 原発 はいま』の上映と元 原発 労働者のお話~   日時:2021年7月25日(日)14時~16時45分 場所: 茨城県 県南 生涯学習 センター小講座室1( 土浦駅 西口すぐウララビル5階) 参加費:500円 主催:茨城不安定 労働組合 連絡先:ibarakifuantei@ gmail.com  090-3902-5801(藤田)   原発 下請け労働者に焦点を当てた ドキュメンタリー映画 『 原発 はいま』を上映したあとAさん(元 福島第一原発 収束作業員)のお話を聴きます。また、 福島第一原発 過労死裁判原告(ご遺族)にもご参加いただき、発言をしていただく予定です。この裁判については、 福島第一原発 過労死責任を追及する会のブログをご覧ください。 上映するのは 原発 下請け労働者に焦点を当てた ドキュメンタリー映画 『 原発 はいま』(49分。制作:映像集団「8の会」、 企画: 全日本運輸一般労働組合 関西地区 生コン 支部   1982年製作)復刻DVDです。画質・音質ともに悪いですが、貴重な映像ですので、ご了承ください。  

政経東北5月号

  月刊誌「政経東北」2021年5月号に記事が載りました。    書いてくださったのはフリージャーナリストの牧内昇平さんです。牧内さんはご自身のサイト 「ウネリウネラ」  にも何度も過労死事件や裁判の報告を載せてくださっています。 政経東北のサイト  「政経東北」には毎回裁判の傍聴に駆けつけて下さる春橋哲史さんも「フクイチ事故は継続中」という連載記事を書いています。  ぜひ手に取ってみてください。

いわきオールからの謝罪を勝ち取る!!

  いわきオールは控訴を断念し、地裁判決を受け入れる旨遺族に表明していました。  同時に判決によって命じられていた2500万円(利息を加算すると2905万円)の支払期日の延長を原告(遺族)に求めていました。  遺族はあらためて、いわきオールに謝罪を要求し、当時の社長夫妻の連名での謝罪を勝ち取ることができました。  「いわきオール前社長夫妻は、遺族に対し、本件判決認定のとおり、いわきオール株式会社が安全配慮義務に違反したこと、前社長夫妻らが亡忠昭殿の業務量またはその内容を調整する措置を講ずるべき注意義務に違反したこと、上記各注意義務違反によって亡忠昭殿が死亡したこと(上記各注意義務違反と亡忠昭殿の死亡との間に因果関係が認められること)を認め、心から謝罪する。」という文書を勝ち取り、2905万円の入金も確認しました(勝ち取った文書では遺族および社長夫妻は実名ですが、ブログ内では「遺族」「前社長夫妻」としました。)。  「社長に謝ってほしい」という遺族の思いはなんとか果たすことができました。  これも、裁判と同時に申し入れ行動やポスティング、情宣活動など法廷の内外での闘いの成果です。  いわきオールとの争いは勝利的に解決しました。しかし、東京電力と宇徳を相手にした救急医療体制の不備と不法行為の認定を求める闘いは、まだまだ続きます。  引き続き皆様の支援を訴えます。    

闘いは高裁へ!!4月12日、仙台高裁に控訴!

 「記者会見での発言は私が我慢すればいいだけです。でも救急医療体制の問題は今も働いている人に関わることですから」。判決後、控訴について原告・遺族と弁護団、追及する会事務局らで議論をしたなかでの原告Aさん(猪狩忠昭さんのお連れ合い)の言葉です。  損害賠償請求裁判は3つの事案で構成されていました。  ①長時間労働を放置し、猪狩忠昭さんを死に至らしめた責任を問う―被告:いわきオール・宇徳  ②忠昭さんが倒れた時に、携帯電話を持っている人間がいなく整備工場内にも電話がなかったため救命措置が遅れた。救急医療体制の不備を問う―被告:東京電力・宇徳  ③忠昭さん死亡時の記者会見で「作業との因果関係はない」などと遺族を傷つける発言を繰り返した―被告:東京電力  わかりやすく言えば、以上の3つの事案を同時に裁判で争うという構成でした。  このうち、①についてはいわきオールと当時の社長夫妻に合計2500万円の支払いを命じる判決が下りました。イチエフまでの移動時間やミーティングなどの時間を労働時間として認め、会社と当時の社長夫妻の安全配慮義務違反を認定しました。勝利判決と言える内容でしたが、元請け企業・宇徳の責任は認められませんでした。 ②と③については、いずれも原告(遺族)の主張が認められず棄却となりました。  しかし、遺族は決意を新たにして東電と宇徳の救急医療体制の不備と不法行為責任の認定を求めて4月12日に仙台高裁に控訴しました。  諸事情があり今後の闘いについての報告が、会員のみの限定した形になっていました。闘いは仙台高裁へと移ります。引き続き皆さまの支援を訴えます。  以下に追及する会の事務局声明をアップします。       福一原発 , 過労死責任追及裁判;3 /30 判決と今後の闘い   2021年4月18日 福島第一原発 , 過労死責任を追及する会 事務局   いわきオールと前社長夫妻の過労死責任認め、 2,500 万円の支払いを命じる! 本年3月30日、福島地裁いわき支部は、被告いわきオールと前社長夫婦の3者が連帯して、原告(忠昭さんの妻、長男、長女)3名に対し合計約 2,500 万円を支払うように命じました。判決は、「夫妻が会社そのもので、忠昭さんを指揮命令していた」という原告側の主張を認め、「夫妻が安全配慮義務を遵守する体制を整備すべき義務を悪意又は重過失により懈

記者会見と報告集会

  3月30日の判決を受けて、当日行われた記者会見と報告集会の様子です。  記者会見は16時よりいわき市記者クラブにて行ないました。  まず、弁護団の齊藤弁護士より判決内容について報告していただきました。  齊藤弁護士は「猪狩さんの死について、長時間労働による致死性不整脈として労基署は過労死として労災認定している。長時間の過酷な労働があったことが示された。残業100時間を超えている。過労死基準をはるかに上回る長時間労働があった。そのことを認めた判決です。  被告は『因果関係がない』と争っていたが司法的な判断でも因果関係があると認められた。会社だけでなく、当時の代表者二人も『故意または重大な過失』があったという判断を下して、個人の責任も認められた」。と判決の意義について触れられました。 ただし、宇徳の責任が認められなかったことについては 「忠昭さんが死亡した責任、宇徳が東電から請けた現場で忠昭さんは亡くなった。責任は宇徳にもあると訴えたが、『宇徳と故人の間に雇用契約はない』と労働時間の管理も問われない。残念です。」と悔しさをにじませながら会見されました。  また、東京電力の責任についても 「忠昭さんが倒れた時、救急医療体制が機能していなかった。原発事故後の構内をは防護服を着て、緊張する作業をする。作業員の命と健康を守るため充分な体制が必要だが、裁判所はこれを認めなかった。」  「忠昭さん死亡時の記者会見も遺族に不快の念を抱かせたことは否定していないが、『因果関係を否定するまで断定的な発表はしていない』『法的な保護に値するほどではない』として棄却した。非常に不満です。」と会見されました。 原告である遺族は、忠昭さんのお連れ合いとご長男が会見に出席されました。 猪狩忠昭さんお連れ合いの発言 「労災認定に続いて、夫の死が過労死であると認められました。いわきオールの責任が大きのはもちろんですが、そもそも重大事故を起こした原発構内で働いて死亡したのに東電と宇徳が責任を負わない。これでは今後も下請け構造のなかで責任逃れが続いてしまうのではないかと危惧します。」 「大企業、元請け、下請けとか関係なくひとりの人間として、いのちを大切にするという当たり前のことを訴えてきました。何十年かかるという収束作業に携わる方々がいます。犠牲になるのは作業員で、その責任を問われるのは末端の会社。元請

くやしい勝利判決!!

  3月30日、損害賠償裁判の判決が下りました。悔しい勝利判決でした。  会としての声明等は後日発表しますが、管理者の感想を以下に書きます。  裁判所は被告いわきオールと前社長夫婦の三者に対して共同で原告(忠昭さんのお連れ合い、ご長男、ご長女)三名に合計約2500万円を支払うように命じました。  判決では、前社長夫婦が忠昭さん死亡時に代表取締役と取締役であり、忠昭さんが死亡する前の6か月間の長時間労働を「認識し、又は容易に認識することができた」と認め、「被告いわきオールの代表取締役又は取締役として、従業員の過重労働等を防止するための適切な労務管理ができる体制を何ら準備していなかった」、「(会社が安全配慮義務を遵守する体制を整備すべき)義務を悪意又は重過失により懈怠し、忠昭に過重な業務に従事させ、致死性不整脈により死亡するに至った」として会社法429条に基づく損害賠償責任を認めたものでした。  いわきオールだけでなく当時の代表取締役・取締役の安全配慮義務違反を認め、損害賠償責任を認めたことは勝利判決と言えると思います。  同時に、いわきオールが一貫して通勤時間や自由時間と主張していた、イチエフまでの移動時間とイチエフ構内での移動や装備品の準備と着脱、ミーティングの時間もいわきオールの指揮命令に基づく労働時間として認めました。  労基署による労災認定、未払い賃金裁判、そして損害賠償裁判のいずれもがいわきオールの主張を退けました。今回の判決でも、忠昭さん死亡前6ヶ月間の時間外労働が月平均100時間近くあったとして、労基署とほぼ同じ認定をしています。  判決では朝の移動時間について、コンビニに立ち寄っていたとしても時間としては僅かであること、そして「被告いわきオールの事業所から1F(イチエフ)に移動するまでの時間は被告宇徳の事務所に部品を納入する必要性などを考慮するまでもなく、業務の過重性を判断するに際しては、作業時間と同様に、被告いわきオールの指揮命令に基づくものとして、労働時間に含めるのが相当である。」としました。  未払い賃金裁判の判決に続いて、朝の移動などが労働時間であると認められたことは、イチエフや中間貯蔵施設、除染にとどまらず建設・土木や警備業など長時間の移動を前提とする労働者の権利拡大の道をまたひとつ切り開いたと言えます。  しかしながら、毎朝の納品を命じた元

3.30 判決に向けて

  いよいよ3・30に判決を迎えます。  安全配慮義務違反の認定を勝ち取り、勝利判決へ!!  時系列が前後しますが、裁判の振り返りも兼ねて3月1日の報告集会の様子をアップします。  3月1日、いわき地裁での被告・原告の証人尋問を終えたあとは労働福祉会館に移動して報告集会を持ちました。 参加者の誰もが、被告のデタラメを圧倒した遺族の証言に胸を打たれ、熱気に包まれた報告集会でした。 霜越弁護士は、今日までの経過を報告。「被告のこれまでの反論は、『そもそも病名が違う』『本人の不摂生もあったので減額してくれ』というものです。未払い裁判で否定されたのにまだ『残業はない。移動時間は労働時間でない。』とも主張している。しかし『(イチエフでの作業のない日は) 8 時前に作業をさせていない』と言うが、前社長が出社するのは 8 時過ぎだと証言した。」「入院した時の給料もマイナスになっている。忠昭さんが経済的な理由からイチエフを希望した、と言うがじゃあ有給を勧めたのかという問いには答えが二転三転している。裁判官も『とてもこの証言は信用できない』と思っているでしょう。」と発言してくれました。 齊藤弁護士からは「いわきオールの落ち度によって忠昭さんが命を落とした。いわきオールは『それは限定的だ』『責任がない』と印象付けるために証言をおこなった。しかし、反対尋問での霜越弁護士の弾劾によって功を奏さなかった。」「東電が速やかに AED を使えていないことや電話連絡など、救命体制があまりに脆弱であったことも証言から明らかにできた。」と証言の意義にふれ、また「大変緊張するなか原告の 3 名は自分の役割を果たして被告の責任を明らかにされました。大きな拍手を送りたいと思います」。と遺族を激励されました。 原告である遺族からも一言ずつ感想をもらいました。 「今日の前社長の証言を聞いていて、夫はこんな人の下で働いていたのかと思うと可哀想でしょうがなかった。あんな経営者の下で、第一原発で働かされている方が居てはならない。証言をしているあいだはずっと背後からみなさんの声援が聞こえて来ました」。 「 3 年と 4 ヶ月、今日まで長いあいだありがとうございました。判決はもちろん気になりますが、いわきオールのような経営者がひとりでも減ること、あんな経営者のもとで働く労働者がひとりでも減ることを願っています」。 「私た

3・30 いよいよ判決

   3月30日、いよいよ判決を迎えます。  判決の直前ですが、3月13日にいわき駅前で配布したビラをアップします。  3月13日はあいにくの土砂降り。 「あれから 10 年原発事故は終わっていない 3 ・ 13 アクション」のスタンディングが午後から行われる予定でしたが、豪雨のため屋内集会のみに変更になりました。 11 時 30 分からのビラまきには全港湾小名浜支部の仲間や、東京から「オリンピック災害おことわり連絡会」の方々も駆けつけて下さり、遺族とともに豪雨の中ビラまきをやり抜きました。(ビラまきの呼びかけは全国一般労働組合全国協議会といわき自由労働組合) 雨のため人通りはまばらでしたが、ビラの受け取りは上々。いわき駅に着いたばかりの全国一般全国協の平賀委員長や平和フォーラムの藤本共同代表らも合流してくれました。 午後の屋内集会にも遺族とともに参加。集会では全国一般全国協の平賀委員長から遺族を紹介していただきアピールをさせてもらいました。