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[これまでの取り組み] ③記者会見その2

 記者会見(2018年11月7日)にむけて前夜にIさん(猪狩忠昭さんのお連れ合いの妹さん)は、娘さんたちと一緒にサーターアンダギーを作っていました。思いを込めたお手紙を添えて報道陣に配るためです。夜を徹しての作業で娘さんがダウン、看病のためIさんは記者会見に来れませんでしたが、一生懸命作られたお手紙付きのサーターアンダキーは集まった報道陣にもれなく配られました。  そのIさんの思いが込められた報道向けのお手紙をアップします。文面を読むと、Iさんたちご遺族の奮闘がよく伝わると思いますし、いまなお廃炉作業に従事している労働者のことを考えて記者会見に望まれたんだと感じます。     以下、Iさんのお手紙の文字起こしです。  報道関係者の皆さまへ  この度は亡き義兄の為にお忙しい中お越し頂き誠にありがとうございます。  私は猪狩忠昭の妻の妹ですが、兄は生前、私が営む料理店で仕事を手伝ってくれていた時期あり、私にとって公私共にかけがえのない兄でした。  料理が得意だった兄は健康食に関心を持ち思いやりの気持ちを持って料理を作れる人でした。  兄も大好物だった私の作るサーターアンダキーを是非皆様に食べていただき、嬉しそうにほおばる兄を想像して頂けたらと思います。  サーターアンダキーは、沖縄菓子で女性の子宮をあらわし、子孫繁栄を願う祝い菓子です。  「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」…命の尊さを改めて思い、兄の生きざまを知っていただき、福島第一原発の廃炉作業に携わる全ての作業員の皆様の尊厳と安全が守られてこそこれから生きる子供達や子孫が守られることを…私達は認識していかなければならない今後の課題と考えます。  兄の死を無駄にすることなく、どうか真実を伝えて下さい。  遺族を代表して 心よりお願い申し上げます。

事件の概要と労働実態

 猪狩忠昭さんの労働実態について、呼びかけ人のひとりである東京労働安全衛生センターの飯田事務局長が作成した文章をアップします。 かなり長文になりますが、猪狩さんの労働実態が詳細に分かりますので、ぜひお読みください。 (一部修正しています。) 1.被災者について ・被災者氏名        猪狩忠昭 いがりただあき ・生年月日            1960 年(昭和 35 ) 享年 57 歳 ・住所                   福島県いわき市内 ・死亡年月日        2017 年(平成 29 ) 10 月 26 日 ・死因                   致死性不整脈 ・遺族                   ●●●●(妻) 2.会社と勤務について (1)脳・心臓疾患を発症した当時の所属事業場   ・所属事業場      いわきオール株式会社(以下、会社という)   ・事業                中古車・建機・特殊車両等の買取り・輸出・販売・整備・レンタル業       ・現在地             福島県いわき市   ・就労事業場      東京電力福島第一原子力発電所(以下、1 F という)車両整備工場   ・業務内容         1F及び会社での車両の点検、整備、納車 (2)始業時刻及び就業時刻、休日について   ・1F (月)~(金)             ・始業時刻                          午前4時30分             ・終業時刻                          午後6時                                                       ・休憩時間                          1時間(1F内) ・会社 (土)             ・始業時刻                          午前8時             ・終業時刻                          午後6時             ・休憩時間                         

[これまでの取り組み] ③記者会見

労災認定を受けての記者会見の様子です(2018年11月7日)。 テレビ朝日報道 東京新聞報道 以下は記者会見当日に配布した資料からの抜粋です。事件の概要について短くまとめていますので、ぜひお読みください。 (1)猪狩忠昭( 57 歳、以下被災者という)は福島県いわき市内のいわきオール(株)(以下、会社という)に勤務し、毎日、東電福島第一原発(以下、イチエフという)の車両整備工場に派遣され、構内の車両の点検・整備の業務に従事していた。 (2) 2017 年 10 月 26 日午前 6 時にイチエフに入構。午前 7 時に免震重要棟で朝礼に出席し、午前 8 時から車両工場で作業を行った。午前中の作業を終え午前 11 時免震重要棟に戻り、昼食休憩をとった。午後の作業のため午後 1 時前に工場に着いた直後、血の気が失せた表情で意識がなくなり、同僚が ER に搬送した。 ER からドクターヘリを要請したが、心肺停止状態で蘇生処置ができないため陸送救急車で高野病院に搬送された。午後 2 時 30 分頃に高野病院到着したが、午後 2 時 36 分に死亡が確認された。死因は「致死性不整脈」と診断された。 (3)被災者の妻(以下、遺族という)は、夫が毎日午前 4 時 30 分に会社に出勤し、同僚とともに会社の車両で国道 6 号線を使ってイチエフに移動し、イチエフでの業務終了後も会社に戻り、午後 5 時~ 6 時まで業務を行ってから帰宅していた。会社とイチエフとの往復の移動時間を含めると相当な長時間労働に従事しており、遺族は夫の死を過労死ではないかと確信した。 (4)遺族は支援者の援助を受けながら被災者の勤務実態を調査した。会社から提供されたタイムカード等の記録から、被災者の時間外労働は死亡直前の 1 か月で 122 時間、死亡前 6 か月の平均が 110 時間を超えていたことが判明した。 2018 年 3 月 9 日、遺族はいわき労働基準監督署に労災保険の遺族補償年金等の請求手続きをとった。同署は労災認定の標準処理期間の 6 か月を経過しても決定を出そうとしなかった。遺族は被災者の一周忌までには墓前に認定の報せを届けたいと願っていた。 10 月半ばすぎ、同署から遺族に連絡が入り、 10 月 16 日付けで被災者の死亡を業務上と認定し、遺族補償

[これまでの取り組み] ②労災認定

 猪狩忠昭さんの労災認定については 東京新聞の記事 が詳しいですが、今後の裁判の争点に重要な位置をしめると考えますので、簡単な文章をアップしておきます。また、 テレビ朝日の報道 もリンクしておきます。(太字をクリックしていただくと記事に飛びます。)  猪狩忠昭さんは月~金の間、毎朝4時半には小名浜にあるいわきオールに出勤していました。福島第一原発(イチエフ)に入構するには、検問所を通過せねばならず、作業員であっても決められた車両でしか入構できません。そのために同僚と許可車両に乗り合わせるためです。また、入構に必要な三点セット( ID 、 WID 、ガラスバッチ)も会社保管であり、これがないと入構は認められません。  また、元請宇徳より隔月での部品納品を求められておいたため、納品にあたった月はほぼ毎日、広野町にある宇徳事務所に朝5時半頃に立ち寄る必要がありました。  入構の手続きも時間がかかります。まず 6 時頃「新入退域管理棟」に入り、手荷物検査と金属探知を通ります。 APD (アラーム付きポケット線量計)を受け取り、係員のチェックを受けます。全面マスクも必要です。それらの入構手続きを済ませても、イチエフ内は「東京ドーム 74 個分」とも言われる広さです。移動も大変です。  構内循環バスに乗り、ミーティングに指定された「重要免震棟」に向かいます。免震棟内で必要な装備(防護服、綿手袋、ゴム手袋、軍手、軍足、専用下着など)を揃え、ミーティングに臨みます。 7 時からのミーティングが終われば揃えた装備を身に付け、全面マスクを被り、同僚らと共に整備工場に車で向かいます。  整備工場で作業を始めるのが朝 8 時。昼休憩で一時的に免震棟に戻ってきた際も、サーベイ室で装備を外し、隣の部屋に移動し身体サーベイを受けてからでないと休憩も取れません。使った装備(全面マスク以外は)ほぼ全て破棄するため、休憩後の作業に使う装備品も揃える必要があるし、昼休憩が終わればまた装備品を身につけて整備工場へと向かいます。 午後の作業を終えれば、また免震棟に戻りサーベイを受けて、構内バスに乗り「新入退域管理棟」で身体サーベイを受けてやっと退域となります( 15 時半頃)。 多くの原発労働者はここで(いったん会社や事務所にもどるにせよ)業務終了ですが、いわきオールは違

[これまでの取り組み] ①遺族の意見陳述

現在、猪狩忠昭さん遺族は「未払賃金請求」と「損害賠償」の二つの裁判を闘っています。2018年9月13日に行われた未払賃金裁判での遺族の意見陳述をアップします。 猪狩忠昭さんの写真を手に支援者へ裁判の報告を行う原告(遺族) 未払賃金請求裁判における原告(猪狩忠昭さん遺族)の意見陳述 2018年9月13日 福島地方裁判所いわき支部 この度、亡き夫猪狩忠昭は福島第一原発の廃炉作業現場において、午後の仕事に取り掛かる直前、防護服のまま倒れ、緊急救命室があるにも関わらず、直ぐに処置をしてもらうことも出来ず、痙攣をし、苦しい状態で全面マスクを外してもらう事も出来ないまま、心肺停止そしてあっという間に息を引き取りました。 その後の会社のあまりにも酷い対応に、不信感を感じ、「フクシマ原発労働者相談センター」に相談し、死亡当日の経過や死亡直前 6 ヶ月の労働時間を調査して頂き早朝から夜まで、過酷な労働環境の中、 1F での車両整備の他にも部品の納品や、 1F に関わりのない車両の引き取りと納車、土曜日は会社で一日中整備士として休憩時間も十分に取る事も出来ず、有給休暇も無い状態で、週 1 日の休暇しか認められず、そのたった 1 日さえも、仕事をさせられた事もあり、それでも休む事なく真面目に仕事に従事し、過重労働の末に、時間外労働が毎月 100 時間を超え、その残業代を支払ってもらう事なく、夫は汗まみれのまま、現場で亡くなりました。 私は組合員となり、未払い賃金是正申告をいわき労基署に対し行い、会社と団体交渉を行いましたが、和解にいたらず、この度いわき地方裁判所に提訴致しました。 11 ヶ月前に心臓手術をし、体調の悪い中でも、 1 日も休む事なく働いた夫に支払われるべき正当な金額の請求しかしておりません。 どうか労働者の尊厳を守り、二度と原発作業員の過労死を起こさせない事、残業代未払い等の労働基準法違反をなくす為にも賃金を払わず毎日長時間夫を酷使して過労死に追いやった会社を許さない判決を下して頂きますよう、切にお願い申し上げます。 亡くなった猪狩忠昭さん

賛同を呼びかけます。

「福島第一原発過労死責任を追及する会」への賛同を呼びかけます。 呼びかけ人 狩野光昭(フクシマ原発労働者相談センター代表) 鈴木裕(全国一般いわき自由労働組合執行委員長) 飯田勝泰(東京労働安全衛生センター事務局長) 平賀雄次郎(全国一般全国協議会中央執行委員長) 【福島第一原発死亡事故】  2017年10月26日、福島第一原発廃炉作業現場で5年間、作業用車両の整備に当たってきた猪狩忠昭さんが午後の作業に取り掛かる直前に放射線防護服のまま倒れ、搬送先の双葉郡広野町の病院で致死性不整脈による死亡が確認されました。 東京電力はその日の記者会見で『作業と死亡の因果関係はない、過労死といったものではない』と断言しました。 【遺族の苦闘と労災認定】  しかし、遺族は忠昭さんが週1日の休みしか与えられず、原発と会社で長時間労働を強いられていたことを知っており、徹底した事実調査を行うとともに、2017年11月にフクシマ原発労働者相談センターに相談しました。そしていわき自由労組に加入し雇用者いわきオールに未払い賃金の請求を行い、2018年3月にはいわき労基署への労基法違反申告と東京労働安全衛生センターの指導で労災申請の手続きを行いました。未払い賃金に関しては、2018年7月に福島地裁いわき支部への提訴となりました。  遺族は、労災申請に関して労基署の消極姿勢に決して諦めることなく、2018年10月16日に「長期間にわたる過重労働が原因」とする労災認定を闘い取りました。 【関係3社の不誠実・謝罪せず】 しかし労災認定後も、原発と会社の二重労働を命じたいわきオール、原発で指揮命令をしていた元請宇徳、及び健康管理に第一義的に責任を負うはずの東京電力の三社は反省することなく謝罪を願う遺族との会見、組合との交渉を拒否しました。  遺族は三社の不誠実な対応を許さず本年2月13日、福島地裁いわき支部に損害賠償裁判を起こしました。 【裁判で何を求めているのか】  第一に、タイムカードを管理しつつも過労死基準をはるかに上まわる長時間労働を強いたいわきオール及び取締役2名と宇徳の安全配慮義務違反に対する損害賠償請求です。  第二に、猪狩忠昭さんの死亡当日、救急医療室において速やかに適切な診療を受けさせる体制を構築していなかった東電と宇