スキップしてメイン コンテンツに移動

[これまでの取り組み] ②労災認定


 猪狩忠昭さんの労災認定については東京新聞の記事が詳しいですが、今後の裁判の争点に重要な位置をしめると考えますので、簡単な文章をアップしておきます。また、テレビ朝日の報道もリンクしておきます。(太字をクリックしていただくと記事に飛びます。)

 猪狩忠昭さんは月~金の間、毎朝4時半には小名浜にあるいわきオールに出勤していました。福島第一原発(イチエフ)に入構するには、検問所を通過せねばならず、作業員であっても決められた車両でしか入構できません。そのために同僚と許可車両に乗り合わせるためです。また、入構に必要な三点セット(IDWID、ガラスバッチ)も会社保管であり、これがないと入構は認められません。
 また、元請宇徳より隔月での部品納品を求められておいたため、納品にあたった月はほぼ毎日、広野町にある宇徳事務所に朝5時半頃に立ち寄る必要がありました。
 入構の手続きも時間がかかります。まず6時頃「新入退域管理棟」に入り、手荷物検査と金属探知を通ります。APD(アラーム付きポケット線量計)を受け取り、係員のチェックを受けます。全面マスクも必要です。それらの入構手続きを済ませても、イチエフ内は「東京ドーム74個分」とも言われる広さです。移動も大変です。
 構内循環バスに乗り、ミーティングに指定された「重要免震棟」に向かいます。免震棟内で必要な装備(防護服、綿手袋、ゴム手袋、軍手、軍足、専用下着など)を揃え、ミーティングに臨みます。7時からのミーティングが終われば揃えた装備を身に付け、全面マスクを被り、同僚らと共に整備工場に車で向かいます。
 整備工場で作業を始めるのが朝8時。昼休憩で一時的に免震棟に戻ってきた際も、サーベイ室で装備を外し、隣の部屋に移動し身体サーベイを受けてからでないと休憩も取れません。使った装備(全面マスク以外は)ほぼ全て破棄するため、休憩後の作業に使う装備品も揃える必要があるし、昼休憩が終わればまた装備品を身につけて整備工場へと向かいます。
午後の作業を終えれば、また免震棟に戻りサーベイを受けて、構内バスに乗り「新入退域管理棟」で身体サーベイを受けてやっと退域となります(15時半頃)。
多くの原発労働者はここで(いったん会社や事務所にもどるにせよ)業務終了ですが、いわきオールは違いました。猪狩さんはまた、許可車両や整備車両を運転して小名浜のいわきオール事務所に戻ってから18時頃まで会社敷地内での整備作業を行っていました。
 しかし、いわきオールはこの膨大な準備作業を「自由時間」と主張して、時間外割増賃金(残業代)を支払おうとはしませんでした。猪狩さんの労働時間はイチエフ内整備工場で作業を始めた8時から帰社した17時までだと主張しています。

 いわき労基署は猪狩さんが出勤した4時半からが労働時間であると認めたものの「(イチエフまでの移動と構内での移動やミーティングなどは)『出張』と同じで『過重性』がない」と労災の認定に消極的な姿勢でした。
 しかし、遺族とともに二度の労基署交渉、東京まで出向いての厚生労働省交渉を行い、イチエフでの労働実態を明らかにしたことで「長期間にわたるの過重労働が原因」とする労災認定を20181016日に勝ち取ることができました。
 しかし、いわきオールは労災認定後も時間外割増賃金を適正に支払おうとしていません。「未払賃金請求裁判」でも猪狩忠昭さんの労働実態を明らかにし、時間外割増賃金を適正に支払わせたいと思います。

コメント

このブログの人気の投稿

Mさん証人尋問

 2月25日、未払賃金裁判で猪狩忠昭さんの同僚であったMさんの証人尋問が行なわれました。  久しぶりの公開での裁判ということもあって、裁判所の前でアピール行動を行ってから裁判に臨みました。アピール行動ではいつも駆けつけてくれる宮城合同労組や、ふくしま連帯ユニオン、東京労働安全衛生センターの仲間の他にも、東京から駆けつてくれた全国一般労働組合全国協議会の仲間や、あらかぶさんを支える会からも発言を受けることができました。  証人として出廷したMさんはとても誠実に労働実態について証言をしてくれました。  早朝4:30に出勤し、それがイチエフへの入構に必要なIDやWIDの準備であり、元請宇徳から命じられた検温、血圧測定のためであったこと。宇徳からの依頼でイチエフ入構前に宇徳事務所に寄って納品を行い、それはいわきオールの業務として行っていたこと。  イチエフに着いてからも、決められた移動ルートを使っての移動や、セキュリティチェックや入構手続き・構内の移動などでどれくらい時間がかかるか、「休憩時間」と言われている時間が実際は作業の準備時間であったとについて詳細な証言をしてくれました。  被告・いわきオールの新妻弁護士からの反対尋問も行われ、新妻弁護士は「誘導尋問のようなことはしたくない」と前置きしながら、過去に新妻弁護士はMさんへの聞き取りを行った際に、Mさんが「(いわきオール)馬目社長から、『高速を使ってもいい』と指示された」と言っていたことを問いただしました。しかしMさんは「それは労基署の指導が入った後であり、猪狩さんと一緒に働いていた時のことではありません。猪狩さんと一緒に働いていた時には(『高速を使ってもいい』という指示は)、私は聞いていません」と力強く答えてくれました。  構内の準備時間を短くしようとする質問、例えば「防護服を脱ぐのにはどれくらいの時間がかかりますか?」という質問にも、「脱ぐのだけなら1分くらいですが、スクリーニングがあります。」と実態をきちんと証言してくれました。  裁判官も補充尋問を行い、サマータイム時の休憩について「トイレやタバコ、コーヒーを飲んだりはできますか?」という質問にも「それはできません」とはっきりと答えてくれました。(裁判官のこの質問は、後の報告集会でも「あまりににもイチエフの実態を知らなすぎる」と...

4月3日、4日 東京電力・宇徳、いわきオールへの連続行動の呼びかけ

 いわき自由労働組合および全国一般労働組合全国協議会の4月3日、4日の連続行動の呼びかけをアップします。  直前の呼びかけになり申し訳ありませんが、参加できる方はぜひお願いします。  以下、呼びかけ文です。   福島第一原発過労死事件 未払い賃金裁判  勝利判決下る!!  いわきオール、東京電力、宇徳は遺族に謝罪しろ!!    福島第一原発(イチエフ)過労死事件の賃金未払い裁判において、福島地裁いわき支部は 2020 年 3 月 26 日、いわきオール(株)に対して 1 年 11 ヶ月分の未払い賃金約 270 万円の支払いを命じる判決を下しました。   2017 年 10 月 26 日、福島第一原発構内の車両整備工場で働いていた猪狩忠昭さん( 57 歳)は、防護服・全面マスク姿のまま倒れ帰らぬ人となりました。死因は「致死性不整脈」でした。  東京電力は、猪狩さんが亡くなったその日の記者会見で「労災、過労死ではない」と発表。雇用者いわきオールも「労災ではないから」と遺族に言い放ちました。遺族は、いわき自由労働組合に加入し、タイムカードの公開を要求しました。その結果、猪狩さんは亡くなる直前の半年間でひと月 100 時間を超える時間外労働(残業)を強いられていたことが分かりました。これはいわゆる過労死ライン(ひと月 80 時間以上)を大きく上回ります。また、残業代もほとんど払われていないことも明らかになりました。  遺族は、残業代の適正な支払いを求めていわきオールを訴え、同時に労働基準監督署に労災の申請を行いました。 2018 年 10 月、労基署は「長時間労働による過労が原因」とする労災を認定しました。しかし、労災認定を受けてもいわきオール、東京電力、元請企業・宇徳からの謝罪はありませんでした。しかもいわきオールは「残業はなかった」と主張し続け、労基署による是正指導を受けても残業代の適正な支払いを拒否していました。 しかし、労基署だけでなく司法も、いわきオールが猪狩さんに過労死ラインを上回る長時間労働をほぼ無給で強いていた事実を認めたのです。いわきオールは判決を真摯に受け止め、速やかに遺族に謝罪するべきです。 原発労働者の安全、権利、名誉を守れ!!     いわきオール、東京電力、宇徳は労働組合との話し合い...

集会報告

遅くなりましたが5月の「福島第一原発過労死責任を追及する会結成 遺族を支援し共に闘う大集会」 の報告をアップします。 弁護団の発言と、ご遺族の発言は別にアップします。 5月 19 日、いわき市労働福祉会館で「福島第一原発過労死責任を追及する会結成 遺族を支援し共に闘う大集会」が約 70 名の参加で開催されました。 冒頭、呼びかけ人の 1 人でもあり「フクシマ原発労働者相談センター」の狩野代表から、開会の挨拶と取り組みの経過報告が行われました。狩野さんは「(ご遺族が)事実関係の資料をほんとうに細かく調べて集めてくれた。その労力には本当に頭が下がる。それが労災認定につながった」とご遺族の奮闘に敬意を表しながら、これまでの相談事例を紹介。「賃金未払、危険手当未払などが多かったが、過労死の相談は初めてだった。この裁判が二度と過労死を起こさせない闘いになる」と取り組みの意義を述べてくれました。 次にやはり呼びかけ人である「東京労働安全衛生センター」の飯田事務局長から労災を勝ち取った経緯の説明がありました。(労災についての詳しい経緯はブログ 「事件の概要と労働実態」 をご覧下さい。 https://investigation1026.blogspot.com/2019/04/blog-post_0.html ) 飯田さんは、「遺族のおふたりは悲しみや怒りを胸に秘めながら、遺族の立場で医師や同僚やほかの下請け労働者から話を聞いてこられた。こうした並々ならぬご遺族の努力と真相を解明したいという思いを受け止め、どうやって労災を認めさせるかが課題でした。」という思いを語り、「(労基署は)いわきオールからイチエフへの移動を『出張である』と言い始めた。」「移動を場合によっては労働時間として認めるが、過労死の認定基準における過重負荷としては認めないという主張をし始めた。『こんな屁理屈を認めるわけには行かない』と意見書を提出し労災として認めさせた」と労災申請の報告を行ってくれました。 その後弁護団のお二人から裁判の意義と経過報告を行ってもらい、休憩ののち Google Earth を使っての猪狩さんの労働実態の説明、ご遺族のおふたりの発言へとプログラムは移りました。(弁護団の報告とご遺族おふたりの報告は別掲します。) 集会の後半に、全国一般いわき自由労組の桂...