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9月, 2021の投稿を表示しています

Hさん控訴陳述書

  最後にご長女Hさんの陳述書です。    仙台高等裁判所   民事部御中                          2021年 5 月20日                       控訴人 猪狩●●●     控訴審陳述書     判決が事実をみていないことは、母が自分の控訴審陳述書で述べていますので繰り返しません。私は救急医療における時間の大切さについて述べさせて頂きます。     父は症状が出現してから蘇生処置をするまでに時間がかかった、また、防護服を着たまま何分も苦しみ、意識不明の状態であったと聞きました。心肺停止から 1 分ごとに救命率は 7 〜 10% 低下すると言われています。私は医療従事者の一員として日々人の命に携わって仕事をしています。毎日の医療の場で救命医療の際には人の命は 1 分 1 秒も無駄にできない、一刻を争う事態なのだと深く学び、身に染みて感じています。実際に素早い蘇生を行われたことにより生存し退院する患者さんも見てきました。また、 8 月には私の祖母が深部静脈血栓症による肺梗塞で倒れました。呼吸停止、意識不明の状態の祖母を発見した叔母が咄嗟の判断で心肺蘇生を行ったことにより、一時は集中治療室に入っていた祖母も今ではデイケアに通い生き生きと毎日を過ごしています。たとえ、数分の遅延とはいえその数分がいかに貴重であり、直接的に生命に関わってきているのだということを東電と宇徳に知って欲しいです。  大好きな父の死が無駄にならないように、今後同じ悲しみを受ける人がいないように、私は真実を知り事実を明らかにして被告に責任を取らせていきたいです。この裁判によって、一労働者の生命の尊さを企業が真摯に考えるきっかけになればいいと考えています。  高等裁判所におきましては、公正な判断をくださるようお願い致します。                                                                                          以上

Kさん控訴陳述書

 続いてご長男 、Kさんの控訴陳述書です。  仙台高等裁判所 民事部御中          2021年5月20日             控訴人 猪狩●●   控訴審陳述書   1 東京電力は、父が死亡した半年後にスマホを全作業員に配布しています。 スマホを財政上の理由で配布できないという主張が、東電の詭弁であることを明らかにするため、 私は本人尋問で、父が亡くなった後に 1Fで稼働する全作業員に東電がスマホを貸与している報道がインターネット上で行われている事実を証言しました。 しかし判決は証言を取り上げないで、 「作業員に対して、携帯電話等の通信機器を支給するのは、相当な維持費の支出や管理が必要となる」として、東京電力の詭弁を擁護しました。   また、証人尋問予定であった森氏の陳述書に、父がER室に入室した13時10分直後に AED を試みたという記述があります。しかし、実際に AED が試みられた時刻は、森氏が陳述書に添付した資料には、入室から19分も経過した13時29分とあります。スマホを配布しない財政上の理由の件にしても AED の件にしても、偽りについては偽りであると、判決が述べるべきでした。   2 スマホを被ばく労働の現場に持ち込むことには抵抗があります。 私は、東電が「傷病者発生の連絡カード」を配布し、傷病者が発生した場合には事前に救急医療室に架電するよう指導したことに関連して証言しました。 私は証言でも述べましたが、積極的に自分のスマホを被ばく労働の現場に持ち込む人は少ないと思います。東電が作業員にスマホを配布せずに、父の倒れた時のようにスマホを持つ人が誰もいなければ、東電が作業員に所持を義務付けた、ER室の電話番号が二つ書いてある「傷病者発生の連絡カード」の意味がありません。判決は、傷病者発生の連絡カード」を皆に持たせて形だけ整えれば、救急医療体制に問題ないとしているような気がします。 高等裁判所におきましては、地方裁判所の誤りを正して公正な判決をくださるようお願いいたします。                                  以上

控訴審陳述書 Aさん

  Aさん(猪狩忠昭さんのお連れ合い)の控訴陳述書です。  以前に載せた第一回口頭弁論での陳述に先立って提出したものです。時系列が前後しますが、裁判の争点が分かりやすくなると思いますので順にアップして行きます。 仙台高等裁判所 民事部御中           2021年5月20日             控訴人  猪狩●●●      控訴審陳述書   1 東京電力が財政上の理由で携帯電話を配布できないと言いながら、実際には全作業員に配布したことについて 東電は福島地裁いわき支部における裁判で、財政負担の増加を理由に作業員へ緊急時用の携帯電話を配布しないことを正当化していました。 これに対して私は本人尋問で、夫が過労死した半年後の 平成30年4月には、1Fで稼働する全作業員に携帯電話を貸与している報道が、インターネット上で行われている事実を証言しました。さらに、長男も10分間の短い尋問時間をさいて、この事実について証言しました。 東電が言う財政上の理由が言い訳に過ぎないことを私たちの証言で明らかにしたつもりでした。ところが 判決文は、「作業員に対して、携帯電話等の通信機器を支給するのは、相当な維持費の支出や管理が必要となる」として、東京電力が福島第一原発で働く作業員に対して緊急連絡用の携帯電話を配布しなかった言い訳をそっくり認めました。これは明らかに事実に反した認定です。   2 サーベイ準備が一般的な時間よりも2~3分多くかかり、その結果治療も遅れたことについて 判決文は、「亡忠昭が除染室に到着してからの処置に特に遅れがあったとはいえず、・・・」としていますが、実際は処置に遅れが生じています。 証人尋問予定であったM氏の陳述書に、「サーベイ実施自体にかかる時間は10秒から数十秒程度」、「サーベイ員が傷病者の発生の連絡を受けてから除染室に入るまでには一般的に約2、3分を要する」と書いてあります。 サーベイ員が連絡を受けてから除染室に入室するまで2,3分程度であることを考えると、13時03分に森氏から連絡を受けたサーベイ員は1 3 時05分から13時06分に除染室に入室可能であり、その後サーベイを行っても、少なくとも夫は、1 3 時07分から1 3 時08分には救急医療室に入室できるはずです。しかし、サーベイ員が

遺族の陳述②

 続いてご長男Kさんの陳述書です。 仙台高等裁判所第 2 民事部御中                                                     2021 年 9 月 16 日                                                                   控訴人     猪狩●●                                 控訴審意見陳述書        父が亡くなってから、もう 4 年の月日が経とうとしています。  ようやく家族で笑いながら父の思い出話も出来る様になった気がします。  そうなれたのも、父の周りの友人や仲の良い職場の方などの話で、父の姿や人となり、周りに愛されていた父を知ることが出来た事、僕たちには見せなかった父のいろんな顔を教えて頂けたからです。とても感謝しています。そのお陰で、今は家族全員で前に進めてる気がします。  現在私は地元に戻り、車を走らせる事が多くなり、次第に車に興味を持つようになりました。父が生きていたら、整備士である父と、どんな話で盛り上がったのかな?と、最近はそう思うようになりました。父が残して行った車を、修理しながら今も大事に乗っています。壊れるまで乗るつもりです。そして私の運転で、いろんなところに連れて行きたかった。それが何より心残りです。    次に、私が福島地裁いわき支部の判決で不服に思った点を述べます。  私は 2017 年 12 月 4 日、母と叔母と 3 人で青森市に出向き、父が倒れた当時の ER 室の医師に面会しました。面会の時の録音もあります。  医師の説明では、「あの日は急に壁が叩かれ、 …… 事前連絡が無かった為、治療にあたり準備を行うことが出来なかった。」という事でした。 ER 室に事前に電話連絡が出来なかった為、治療準備が遅れたと言う事です。    私はこの時の医師の説明を今年 3 月 1 日にいわき支部で証言しました。母も医師から聞いたことを証言しました。しかし、いわき支部の判決文は医師の説明を無視して「除染室到着後の治療に遅れはない」と断言しています。普通に考えて治療準備が遅れれば、治療開始も遅れるのではないでしょうか。    また、宇徳に安全衛生管理責

遺族の陳述①

 第一回口頭弁論での遺族Aさんの意見陳述をアップします。 以下 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 仙台高等裁判所第 2 民事部御中                                                             2021 年 9 月 16 日                                                                       控訴人    猪狩●●●                                     控訴審意見陳述書   4 年前の 9 月に夫は、連休を使って電車で家族に会いに来たことがありました。  土浦駅まで迎えに行った時、助手席の窓から顔を出し、夫の姿を探す愛犬の後ろ姿があまりにも可愛くて、思わず写真に収めた事を思い出します。駅の階段を降って来た夫の姿を見つけるや否や、しっぽを振りまわし、耳を下げて喜んでいた姿を今でも忘れません。  夫も 1 ヶ月ぶりに会う愛犬と、楽しそうに戯れていました。まだ昨日の事のようです。  我が家にやって来た時から 8 ヶ月間、夫と暮らした愛犬にとって、夫は今でも一番大好きな人に違いありません。 夏が終わり、空が高く青く、一年で一番好きな季節が来ると、最後に会った日の夫を思い出し、辛くなります。     今生きていれば 61 歳。仕事も辞めてのんびり暮らしていたのでしょうか。  休みの日も早起きの夫は、きっと私や子供たちの車を常にいじっていたんだろうと思います。  夫がいなくなってから、車のメンテナンスが、こんなに大変だったと知りました。  いつも私の車を整備してくれた事に本当に感謝しています。  そして、運転が上手になった子供達の車に乗るのは、何よりの楽しみだったでしょう。  私は今、自身の仕事がコロナ禍で自粛されている為、看護師で忙しい娘にお弁当を作ったり、ご飯を作ったりする時間を持てています。何を作っても、これも夫に食べてもらいたかった、あれも食べてもらいたかった。そればかり考えます。本当に何でも美味しそうに食べてくれる人でした。その時の笑顔はや

驚きの高裁・口頭弁論報告

  9月16日、仙台高裁において第一回目の口頭弁論が開かれました。  すでに複数の方が、facebook等に報告記事を書いてくださっているので若干色あせた報告にはなってしまいますが、タイトルにあるように驚きの口頭弁論の場となりました。長文ですが、当日の雰囲気を知って頂きたいので、なるべく裁判長の発言はメモを起こしたものを載せます。  朝10時すぎより、高裁前の公園に集まり、マイクと横断幕・プラカードをもってアピール行動を行ないました。東京から全国一般労組全国協議会の平賀委員長や、追及する会の共同代表である飯田さん(東京労働安全衛生センター事務局長)たちも駆けつけてくれ、アピールに力が入ります。福島からも狩野共同代表と双葉原発反対同盟の石丸さん、いわき自由労組、福島連帯ユニオン、ひだんれんの仲間も駆けつけてくれました。地元の宮城からも全労協や宮城合同労組の仲間たち10名近くが駆けつけてくれ20名以上の参加でアピール行動に臨むことができました。  11時から大法廷での弁論が始まります。  まずは、原告・控訴人である遺族のお二人(猪狩忠昭さんのお連れ合い、息子さん)が意見陳述を行います。  おふたりは、「事前に連絡がなかったので慌てた」とER(救急医療室)の医師(当時)が証言したことや、東電が配布した「連絡カード」にERの電話番号が書かれているのに誰も携帯電話を持っていなかったことを述べ、「作業員の命を軽視しないで下さい」と原発労働者の環境改善を訴えました。  さて、ここからが驚きの展開でした。  小林久起裁判長は地裁判決に触れながら「いわきオールの責任が明らか。その職場を提供していたのが東電と宇徳」と前置きをして、全員に語りかけるように話はじめました。  ERの医師がカルテに『ドアが叩かれ(連絡なし)』と記載していること、猪狩さんが『数日前から胸が苦しいと言っていた』と書かれていることも「同僚は知っていた。そうでないと医師はカルテに書く事ができない」と述べました。  猪狩さんが過去に手術を受けた病院の医師の意見書を示し、「外来診察時、主治医のカルテのなかで『仕事がかなり忙しい。胸が痛むことがある。』とある。主治医でも仕事がかなり忙しいことを知っている」と指摘。  東電・宇徳が提出した「死亡当日の経緯」を示しながら「『13:03 作業員らが除染室に連絡し、ERの職員が物音