証人尋問に先立って提出した陳述書です。
証人尋問の報告と合わせてお読みください。まずはお連れあいが書かれた陳述書です。
陳 述 書
2020年11月20日
猪狩●●●
1
夫の性格 家族との生前のエピソード
生前の夫を一番思い出すのは、いつも美味しそうに食事をしていたところでしょうか。料理が得意で、鍋は出汁取りから、ビビンバや、私のリクエストのフレンチトーストも絶品でした。ゴーヤチャンプルも良く作ってくれました。私も子供達も、そんな夫の口に合う料理を作る為に料理の腕を上げました。
夫は優しい人で、人様の悪口、陰口を決して言わない人でした。仕事の悩みや愚痴もほとんど聞いた事がありません。そんな性格のせいか、会社では後輩の方々に慕われており、お通夜には、9年前に退職した、以前の職場の方々が沢山足を運んで下さいました。驚いたのは、最後のお別れにと、わざわざ火葬場にまで足を運んで下さる方々がいらした事でした。前の職場でも、皆んなが嫌がる仕事を率先してやってくれていた、いつも皆んなの真ん中にいたと聞きました。
夫は私の両親や兄弟にも自分の家族の様に接してくれていました。私の父親が亡くなる時も、仕事ですぐに病院に行けなかった私の代わりに、夫が最期の時まで父の側にいてくれました。生前、父は定年後の友人夫婦との旅行に夫を連れて行った事がありました。いつも夫を息子息子と紹介し、頼りにもしていました。
私が仕事でいわきに帰れない母の日に、夫が私の母に果物の籠盛りを届けてくれた事もありました。
「11月の連休また来るよ」と言って、2017年10月9日にいわきに帰った夫に、次に会ったのは26日の18時過ぎで、夫は高野病院の小さな部屋で、ストレッチャーに乗せられた、白いシーツにただ包まれた、まだかすかに温もりが残っていた動かない遺体になっていました。倒れたとの連絡からたった1時間後に死亡が確認されたと電話があった時、急いで帰宅中の車の中で、一瞬車窓からの景色が真っ白になった事を今でも忘れません。とにかく夫の元へ急がなければと、泣きじゃくる娘と愛犬を乗せ、2時間半、一言も話さず、常磐道を病院へ向かったのは昨日の事のように鮮明に覚えています。
それでもまだ、夫に会うまでは、どこかで夫の死亡を信じていない自分がいました。先に到着していた泣きはらした顔の妹の隣に横たわる夫にかけられたシーツをめくり、真っ青で眉間にシワがよった苦しそうに口を開けたその顔は、間違いなく夫であり、みた瞬間、私達は泣き崩れました。映画や、ドラマでしか見た事のないそのシーンは、紛れもない事実でした。
2
いわきオールの虚偽と不誠実
告別式の1週間後の11月8日11時に、妹と妹の友人と私の3人で、退職の手続きの為、いわきオールを訪ねました。対応したのは社長夫人で、社長は姿も見せませんでした。夫が亡くなった日から、いわきオールの対応に数々の不信感を抱いていた私達は、労働の実態を知りたくて、タイムカードを求めましたが、「事務所を引っ越してその時に無くしてしまってありません」、「突然死はよくある事、訴えるとかやめて下さい」とまで言われました。週1日の休みしか与えられず、早朝から一生懸命働いてきた夫への労いの言葉はなく、いわきオールに不信をいだかざるを得ませんでした。
タイムカードに関して言うと、2018年1月に、労働組合の支援で未払い賃金の請求と労働資料の開示請求を行なってから、いわきオールはタイムカードのコピーを全て出して来ました。
「事務所を引っ越してその時に無くしてしまってありません」という先の説明は明らかに虚偽のものでした。長時間労働を隠す言い訳でした。
普段は仕事の愚痴を言わない夫が珍しく「原発に仕事に入る日数が毎年毎年増えていく中でも、一向に休みは増えず、訴えも聞き入れてもらえない」と話していたのを思い出します。私は心臓の手術後、術後の身体には、厳しいだろうと、土曜日の休みか、せめて土曜日の午後からの休みは取れないの?とずっと夫に聞いていましたが、結局会社から聞き入れてもらえないとの事でした。もういわきオールで働かせたくないと思い、「娘があと一年で卒業したら辛い仕事を辞めて茨城で一緒に暮らそうね」と話していましたが、かないませんでした。
心臓の手術のお見舞いのお返しにいわきオールに行った時、社長から「こんな歳で雇ってくれるところはないのだから、早く仕事に復帰させて下さい」と言われました。社員の健康に気を遣うわけでもなく、こんな酷い人のもとで働いているのか?と思った時に、辞めさせるべきだったと、後悔しています。
夫が亡くなってから、調べていく中、有休もとらしてもらえず、検診の為病院に行った時間分の賃金も給料が引かれていた事や週一日しかない休日に勤務した日もあった事も知りました。
夫と共に原発で働いている方々を夫のような目に遭わせてはいけないという思いから、2018年3月、いわき労基署に労災申請と共に「労働基準法違反申告」を申し出ました。その結果、4月にいわき労基署から私に、就業規則の掲示と年休の取得申請ができるよう文書で指導したという報告がありました。同僚の方から年休取得出来る事になったと聞きました。同僚の方からは、生前の夫と、「労基署が入ればいいのに」と話していたことも聞きました。もっと早く、労基署からの指導が有れば、年休を取る事が出来れば、夫がゆとりを得て疲労回復が出来たのではないかと思います。
時期が前に戻りますが、2017年1月、大動脈弁輪拡張症、閉鎖不全症の術後1ヶ月半で仕事に復帰した時、私は夫の体が心配でした。従業員を大切にする会社なら、夫から言われなくても復帰直後くらいは、土曜日を休ませるとか、1F派遣のための早出や残業を解消すべきです。会社は多額の派遣料を得たいために術後に復帰した夫をすぐさま1Fに派遣したとしか思えません。
2017年4月から東電は、車両整備台数を拡大する計画を打ち出しました。社長は火曜日から金曜日に加えて月曜日も1Fで働くよう指示し、4時半からの早出日数が週1日増えました。夫は術後の体でしかも前年よりも負担を増やされた中で過酷な夏場を迎えたと言えます。夏場は防護服を着て汗だくで働いており、サマータイムで13時過ぎに1Fを出ても、いわきオールに帰社後残業をさせられていて、全くサマータイムの恩恵はなかったと言えます。しかも、残業も早出も週労働40時間を超えた土曜出勤もすべて無給でした。
不払いの残業代は本年3月26日、福島地裁いわき支部が会社に支払いを命じてくれました。
原発事故収束作業に今も尚多くの作業員が被爆と言うリスクを背負って作業に従事しています。収束の見通しも立たない中、命を削って働いています。
なぜ? そんな彼らの命より、利益が先なのでしょうか?
3
長時間労働を黙認していた宇徳の責任について
夫は朝、広野町の宇徳事務所に部品を納品していて、宇徳は早出を知っていたし、昼休憩も宇徳の従業員と並んで昼食を食べ、プライベートな話もしていたと、宇徳社員から聞いています。1Fに入構してから退出するまでの事しか知らないと言うのは、おかしいと思います。宇徳には元請けとして、自分が使う従業員の健康を守る責任があります。
4
命の大切さ
「人権とは、人間が人間あると言うただその事に基づいて当然に持っているとされる権利であり、そして全ての人間が等しく尊い存在である。」といわれます。人の命より大切なものがあるのでしょうか? 日本は、企業は、誰かを犠牲にしてまでも、今だけ、俺だけ、金だけなのでしょうか?
原発の問題、過労死の問題は他にも山積みです。過酷な労働をしている彼らを守って下さい。彼らには、家族も友人も恋人もいます。皆んな誰かの大切な大切な一人なのです。誰かの利益の為に犠牲になる命があってはならない。二度と、労災死亡事故が起きない事を願います。いわきオールと宇徳に対して、誠実な対応ときちんと責任を取ることを求めます。
5
死亡当日の救急医療の遅延について
(●●●医師に面会した経過)
告別式が終わり、1Fの東電へ「死亡当日の担当医師に説明を受けたい、カルテも確認したい」と電話しました。電話に出た、ER室の方からは、「カルテは病院ではないので出せないし、担当医師も現在は東電にはいないので、次回は来年の6月になる、それでも良ければ、」との返答を受けただけでした。
なお、2019年1月になってから、労働組合の協力によって東電ER室にカルテの開示を請求し、提出してもらいました。組合の人には「病院でないから出せない」とは言わず、開示手続きの段取りを示しました。
医師との面会に関してですが、私はあきらめずに、電話に出たER室の方から医師の苗字と勤務地を聞き出し、妹がネットで検索し、●●●医師が勤務する公立××病院へ連絡後、医師から携帯に非通知で連絡が入り、12月5日に××で面会の約束をしました。病院では困るので、と言われ××駅構内のカフェで、私と息子、妹の3人で面会しました。
(医師からの説明)
医師の説明では、「あの日は急に壁が叩かれ、患者さんが倒れ痙攣していると言う話で、中に入れたら、痙攣していなく、血圧が測れない、呼吸がない、非常にやばい状態で、ドクターヘリ要請をした。」、「事前連絡がなかった為、治療にあたり準備を行う事が出来なかった。」という事でした。医師はER室の入り口付近をたたかれて初めて重体の夫を知ったという事です。東電が作って1Fの作業員全員に持たせた「傷病者発生時の連絡カード」には「傷病者(外傷・熱中症・その他)発生の第一報は救急医療室へ!」とあります。さらに、「救急医療室への連絡事項」には、患者の状態や発生状況を知らせる」とも書かれています。
死亡当日の午後、整備工場に向かう車両に夫は同僚の整備士3人と共に乗車していました。同僚の整備士が一人でもが携帯電話を持たされていれば、あるいは整備工場に電話が設置されていれば、夫が倒れた時点で医師の指示が得られたことでしょう。夫が運び込まれる前に除染室の処置体制が整えられ、治療までの時間が短縮されたことでしょう。
東電は裁判の書面で、「数分の遅れ」はたいして生死の結果に影響はないようなことを言いますが、遅れがなければ、夫が生きていた可能性があったと思います。夫は倒れた時、迅速な治療を受ける権利を侵害されたまま死亡しました。 夫の身体に何かあっても、1Fの緊急連絡体制はしっかりしていて大丈夫だと思っていましたが、裏切られた気持ちです。
6 「作業との因果関係はない、過労死ではない」とする
東京電力の記者会見について
2017年10月26日、夫が死亡確認されたと連絡を受けてから、高野病院に向かう高速道路の運転中に、東電の会見が行われ、夫の死が持病によるもので、作業との因果関係はない、過労死ではないと既に発表されていた事を2日後に知りました。
私達遺族がまだ、夫にも会えず、勿論医師からの死亡原因の説明もされていない時間帯に東電の死亡原因に関する発表が早々行われていました。
それまでのいわきオールの態度にも不信感しかありませんでしたが、会見の内容を知り、東電による、とにかく責任回避の為だけに、あまりにも不誠実な内容に、私達遺族は愕然としました。
「作業との因果関係がない」と何度も同じ事を繰り返したことは、確定的に述べた事と同じす。
東電は、2011年5月に1Fで作業員が過労死した事実を知っているはずです。その東電が過労死の可能性をはじめから否定し、記者に対して、「持病による病死」と回答しました。一方的に業務と関係のない病死としたことを許せなかった私は、夫の死亡の真の原因について解明追求を決断しました。
東電が業務と関係のない病死と発表したため、夫が自己責任で病死した、家族が病死に至るまで気遣いしなかった、と世間から思われ、苦痛を感じ続けました。
さらに労災認定に至っても、東電は反省することなく、記者の質問に、「労災認定について申し上げる立場ではありません」と回答しただけでした。この時も私は東電の態度に失望し、虚しい気持ちになりました。自分が行う事業の下請け労働者が過労死した事実を率直に認め、再発防止に努めるべきです。
夫の死亡の前と後に心疾患などによって1Fで死亡した労働者が何人かおり、その死亡原因に関する東電の発表が一般新聞に掲載されました。夫も先に亡くなった労働者と後に亡くなった労働者の場合、東電はいずれも死亡原因を断言していません。なのに、何故夫の時だけ「持病による病死」と断言したのか、とても理解できません。全く納得いきません。
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