続いてご長男の陳述書です。
陳 述 書
2020年11月20日
猪狩●●
① 父が亡くなり早3年が経ちました。
亡くなった年の父との貴重な時間は今も鮮明に覚えています。
2017年の5月の連休でした。父は東京にいる私のアパートにせっかく会いに来てくれたと言うのに、仕事について聞いても父は何も応えず、いつも通り口数も少なく、少しお酒を飲んだ後は、深く眠りについていた事が印象的です。
お通夜には、会場に入りきれないほどの、父の友人、以前の職場の仲間が来てくれました。父の車関係の友人から「息子が車に興味がないんだ、って寂しそうに言ってたぞ」と初めて聞きました。
学生時代の父の友人達は、告別式までの4日間、毎日自宅の父の亡骸に逢いに来てくれました。皆声を上げて泣いていました。そして父の友人達が僕に「しっかりな!」と大きなその手で背中をポンと叩いてくれた事を忘れません。沢山の仲間たち、親族に愛され、見送られる父を見て、生きてさえいれば教わる事がまだきっと沢山あったのだろうと悔やみました。
② 父が大動脈弁温存基部置換術を受け、その後仕事に復帰した時には、土曜日に関して労働時間短縮を求めた父の意見は通らず通常通りの労働を行ったと聞きました。
手術をしたところが心臓の部分と知っていたなら、なぜ、身に合わせた対応や一労働者の意見を聞いて頂けなかったのでしょうか?
生前父が私たち家族に仕事がきつくなったというような弱音を吐く所は聞いた事がありませんでした。もちろん子供の前だから当然とも思います。ですが、長年働いていれば、多少なりとも父の人柄は会社の方にも伝わっていたのではないかと思います。
その父の言葉を聞いてもらえなかった事、とても残念で仕方ありません。
③ 父は宇徳の整備工場で長い間働いていました。
宇徳は現場の労働者の健康維持や、危険回避の責任があった中、宇徳が整備工場以外で長時間労働を行なっていた事を全く知らなかったと言うのも不自然だと思いました。
宇徳事務所でのお昼休憩時の会話を含め、何かしら情報はあったはず、下請けの責任で自分たちには関係ないと言って、聞かなかった事にしていたのではないかと思います。
④ 私は2017年12月4日、母と叔母と3人で××市に出向き、父が倒れた当時のER室の医師に面会しました。
医師からは、「連絡がなかった為、治療にあたり準備が出来なかった」と聞きました。父が倒れた時、作業員は連絡用の携帯を誰も持っていなく、ER室に電話連絡ができなかったため医師の治療開始が遅れたという事です。
東電が作って1Fの作業員全員に持たせた「傷病者発生時の連絡カード」には「傷病者(外傷・熱中症・その他)発生の第一報は救急医療室へ!」とあり、
電話番号が2つ太文字で書かれています。さらに、「救急医療室への連絡事項」には、患者の状態や発生状況を知らせる」とも書かれています。
もし作業員が携帯を持ち、カードに書かれた通りにER室に電話し発生状況を知らせておけば、ER室はより早い行動ができたはず。
そうであれば、もしかしたら父は助かっていたのではないかと、考える日もありました。
万全の救急医療体制であったのであればまだしも、緊急連絡ができなかった状況で東電は「作業との因果関係はない」と記者会見で何度も何度も言っていました。「持病による病死である」と断言して労働災害の可能性を否定しました。
私は長時間労働を行なっていた父の事を個人の問題として、仕事と関係ないこととされたのが心苦しかったです。父の死亡原因について、事実よりも会社を守る為に発言としたと解釈しました。
役職や立場が違えど、命の重さは変わらないはずです。
どうか、自分の大切な人を想像して考えていただきたいです。
原発事故を引き起こした東電がその収拾作業をしている労働者の死亡原因を、調査をしないで自己責任の死亡と断定し、責任回避するのは許されません。
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