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3月1日 証人尋問の報告

 去る3月1日、損害賠償請求裁判の証人尋問が行われました。  
 原告側は遺族(猪狩忠昭さんのお連れ合い、ご長男、ご長女)の3名が証言台に立ち、被告側はいわきオール前社長が証言に立ちました。被告・東京電力は直前になって証人申請を取り下げました。(当初は、救急救命室の職員の証言を予定していました。) 
 被告が特別傍聴を確保(東電5名、宇徳2名、いわきオール2名)し、さらに裁判所が記者席を8席も認めたために一般傍聴が4席と限られてしまいました。しかし当日朝になって被告が特別傍聴の人数を減らしたため(証人を取り下げたのだから当たり前です)、一般傍聴は7席となり抽選の結果6名の仲間が傍聴することができました。

  証人尋問が終わったあとに裁判長は結審を言い渡し、判決は3月30日の14:00からとなりました。多くの方の注目を呼びかけます。


  以下は証人尋問の報告です。  

 証人尋問は被告・いわきオール前社長(忠昭さん死亡当時は社長)から始まりました。 いわきオール前社長は早朝の宇徳への納品について「知らなかった」「指示していない」と答え、「猪狩さんが亡くなったあとに知った。『そんなことをやっていたから猪狩くんが亡くなったんだ』と宇徳に言った」と最初から責任を宇徳に擦り付けるやり方でした。さすがに宇徳の弁護人もびっくりしたようで、あとで尋問を行います。そうすれば「妻が…」と、また責任を別人に擦り付けます。責任を押し付けられた彼女も、取締役であり被告なので責任を押し付けても意味はないのですが。よほどびっくりしたのでしょう、 宇徳の弁護士が尋問を行ったのは彼に対してだけでした(原告への反対尋問も行わなかった)。  
 その後も、ことあるごとに「(血圧の)薬をちゃんと飲むように言ったのに飲んでいなかった。何度も注意した。」「(過去に猪狩さんが手術を受ける際)セカンドオピニオンを勧めたが聞いてもらえなかった。」「(手術を終えて職場復帰する際)『軽作業からスタートしたら』と言ったが本人が強くイチエフでの作業を希望した」とあたかも健康にずっと気を使ってたというアピール。
 さらに未払い賃金裁判で未払い残業代を支払うよう判決が下り、控訴を断念したにも関わらず、「タイムカードと作業日報を毎日確認していた。」「残業代について恣意的な計算はしていない」と未だに残業代はきちんと払っていたという、とんでもない証言内容でした。 これらの証言は、原告側弁護士の反対尋問によって粉砕されました。
  「忠昭さんは手術の際、有給をとっていないが何故でしょうか?」-「わかりません」。
  「健康に気を使っていたのなら『有給を取れ』とは言わなかったのですか?」-「言ってません。」 
 「手術後、『一日も早く仕事がしたい』と忠昭さんが言ったのはなぜだと思いますか?」-「経済的な理由だと思います。」
 「経済的な理由であるなら有給を使わせるべきではなかったのではないですか?」-「有給を勧めたが断られました。」 
 と証言が二転三転と変わります。 健康に気を使っていたというが、ならば何故長時間労働を強いたのか、この点も追及されました。 
「『イチエフまで移動時間』と言ってますが、移動時間だとしてもその長さを考慮することはなかったのですか?」-「手当を出してました。本人が『行きたい』と言ったから…」
 「『手当』はイチエフで作業するための手当ではないのですか?朝早く行くための手当なんですか?」-「イチエフに行くときには手当をつけていました…」 
  もう本当にしどろもどろの証言です。 
 「忠昭さんが4:30に出社していたことを知っていましたか?」-「知りませんでした。」
 「タイムカードをチェックしていなかったのですか?」-「していました。」 
「タイムカードをチェックしていたのに、認識していなかったのですか?」-「指示はしていません。あまりタイムカードは見ていません。主に妻が見ていたので分かりません…」
  あらためて、有給をなぜ取らせなかったのかと問いただされると「最低賃金を払っていましたから…」と言いかけました。この瞬間には傍聴席から「ええっ!」と驚きの声が上がりました。証言内容のあまりの二点三点ぶりに裁判官から「有給を取るように勧めたことはあるんですか?」と苛立ったように聞かれておりました。

  前社長のデタラメ、しどろもどろの証言内容と対照的に遺族は3名とも立派に証言をやり抜きました。 
 忠昭さんのお連れ合いは、いわきオールが一度も有給を取らせなかったばかりか手術と療養期間中、給料がマイナス(給料がゼロで社会保険料が自己負担)であったこと。その翌月も16,000円程度しか給料が支払われなかったこと。退院後に社長らから「この歳で雇ってくれるところはない。早く復帰させなさい。」と言われたこと。忠昭さんが亡くなったあと通夜の席で社長から「労災じゃないから」と言われて「労災など考えたことがないのに、おかしい」と思ったこと。 イチエフのER(救急救命室)担当医に会いに行き、「あの日は当然(ERの)ドアが叩かれ事前準備をすることができなかった。」と話してくれたこと。 忠昭さんが亡くなった日の東電の記者会見についても「あの日、夫に会っていない、医師の説明も聞いていない時間に『病死』『因果関係はない』『過労死ではない』とまで言っている事にショックを受けました」と語りました。 
 東電側弁護士の反対尋問では、東電側弁護士が「労災認定にも一年がかかっている」。「死亡当日の会見でも『現時点では』と言っている。」「あくまで(死亡当日)現時点での発言ではないのか」という執拗な問いかけに対しても「そうは思いません。『まだ分からない』と答えるべきだと思います」と毅然と反論されました。 

  ご長男、ご長女も生前の忠昭さんの姿を語りました。 ご長男は、「(東電がイチエフ構内で全労働者に配っているカード-緊急時の連絡体制・電話番号が記載されている)連絡カードに沿って対応していてくれれば、父の生存率は上がっていたはずです。記者会見も状況がよく分からなかったはずです。責任逃れはやめてほしい」と語られました。 
  ご長女も、生前の忠昭さんは栄養士が監修する食材の宅配サービスをとって、それを自分が調理していた。健康には気を使っていたことを証言しました。また忠昭さんが目覚し時計を毎朝3:30にセットしていたことや、朝早く出勤し自分より遅く帰っていたことをとても心配していたとを証言しました。 
 最後に「私は人の命と向き合い、助ける看護師として働いています。血の繋がらない患者さんの死でも、とてもつらく悲しいです。父の死は人生の中で一番辛くて悲しい出来事でした。もっと命の尊さを自覚してほしい」と涙ぐみながら語られた時には、何人もの傍聴人が目頭を押さえていました。 
  なんとしても遺族のこの思いを勝利判決に繋げたいと思います。 3月30日の判決に大きな注目をお願いします。  



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