ご長女の陳述書です。
彼女は証人尋問の最後に「人の命と向き合い、助ける看護師として働いています。血の繋がりのない患者さんの死でも、とてもつらくて悲しいです。父の死は人生の中で一番つらい出来事です。もっと命の尊さを実感してほしい」と涙ながらに語られました。
その瞬間、傍聴席の何人もが目頭を押さえていました。
以下、証人尋問に先立って、ご長女が書かれた陳述書です。
陳 述 書
2020年11月20日
猪狩●●●
① 父が亡くなって約3年経ちましたが、私は今でも父が亡くなったあの日、息を引き取った父と面会し顔を見た時の眉間に皺を寄せた苦しそうな表情、青ざめた顔を見た時のことを思い出すと胸が苦しくて、張り裂けそうな思いでいっぱいになります。なぜ父が亡くならなければならなかったのですか。
この3年間父を思いださなかった日は一度もありません。家族といても、友達といても、仕事していても何気ない日常生活の日々に父を思い出し、父ならこういう時こんな風に話すだろうな、ここのご飯屋さん一緒に来たかったな、好きだったろうなとか、ここの服屋さんでよく服買っていたなとか些細なことですがこれからの私の人生に父がいないことがいまでも信じられません。
夢であった看護師になった姿を見て欲しかった。口下手な父でしたがずっと楽しみにしてくれていたと思います。看護師になったら、父と行きたかった場所や、したかったこと、たくさんありました。そしてたくさん親孝行してここまで育ててくれたことへの恩返しをしていこうと決めていたのに、まだ何もできていません。もっと話しておけばよかった、離れていても毎日電話してあげればよかった、もっと一緒にお出かけして思い出つくればよかったなど悔やんでも悔やんでも悔やみきれないです。この悔しさ、悲しみは私の中で一生消えません。
② 私は、父が亡くなった後サマータイムという制度があったことを知りました。
サマータイムは、防護服を着て汗まみれになって働いた作業者たちを早く帰宅させて体を癒やさせるための1Fの制度でした。父の場合13時過ぎには1Fを退場していました。しかし、家に直帰することは許されず、会社に戻って残業していたことを知りました。私は高校3年間父と毎日暮らしていましたが、サマータイム期間である7〜9月の間でさえも私より早く帰宅している姿は一切ありませんでした。夜になって疲れた様子で帰宅してくる姿しか見たことありません。これでは何のためにサマータイムという制度があるのか意味が全くありません。
防護服は通常の作業服と比べて通気性、透湿性が悪いため、防護服内に熱が溜まり、体温を下げるために分泌された汗の蒸発は妨げられます。そのため、体温は上昇し続け熱中症リスクは高まります。作業による肉体的負荷に加え、暑熱環境による負荷も加わるため身体的・精神的にも疲労が蓄積された状態だったのではないかと思います。
私の父は私に心配させないためだったのか帰宅しても弱音は一切吐きませんでした。しかし、毎日一緒にいる私は父の帰宅する姿から相当疲れているのだと感じていました。なぜ、サマータイムという制度がありながら1F退場後に会社で残業させていたのか、なぜ宇徳は「残業していたことを知らなかった」と簡単に言い返せるのか。父を働かせているうえで父の健康維持、危険回避の責任があったはずです。労働の全体を把握していなければならないことではないのでしょうか。
家族1人の命が亡くなっている遺族の気持ちを考えたことはありますか。「知らなかった」の一言で片付けられますか。私の父は10月に亡くなりました。猛暑の中防護服で働いた疲労が蓄積したのではないでしょうか。もし、サマータイムの制度が徹底されていれば、父は亡くなっていなかったかもしれないのです。
③ 父は症状が出現してから蘇生処置をするまでに時間がかかった、また、防護服を着たまま何分も苦しみ、意識不明の状態であったと聞きました。
心肺停止から1分ごとに救命率は7〜10%低下すると言われています。私は医療従事者の一員として日々人の命に携わって仕事をしています。毎日の医療の場で救命医療の際には人の命は1分1秒も無駄にできない、一刻を争う事態なのだと深く学び、身に染みて感じています。実際に素早い蘇生を行われたことにより生存し退院する患者さんも見てきました。
また、8月には私の祖母が深部静脈血栓症による肺梗塞で倒れました。呼吸停止、意識不明の状態の祖母を発見した叔母が咄嗟の判断で心肺蘇生を行ったことにより、一時は集中治療室に入っていた祖母も今ではデイケアに通い生き生きと毎日を過ごしています。たとえ、数分の遅延とはいえその数分がいかに貴重であり、直接的に生命に関わってきているのだということを東電と宇徳に知って欲しいです。
④ 東電には、父の死因についてまだ何も解明されていない、私たち家族が父の姿をまだ見ていないのにもかかわらず、「作業との因果関係はない」と発言したことに対して深く不信感を抱いています。
私たち遺族になんの報告もなく、詰めた調査をしないまま、世間に「因果関係はない」と断言したことは責任逃れにしか思えません。現に過労死と認められている今、「因果関係はない」とすぐに断言するべきではなかったのではないですか。
父の突然の死を知らされて絶望の中、父が汗水垂らして一生懸命働いてきた東電側の発言が責任回避で父の今までの努力が無かったことにされたと感じ、怒りや悔しさ、深い悲しみでいっぱいです。
大好きな父の死が無駄にならないように、今後同じ悲しみを受ける人がいないように、私は真実を知り事実を明らかにして被告に責任を取らせていきたいです。この裁判によって、一労働者の生命の尊さを企業が真摯に考えるきっかけになればいいと考えています。
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