遺族は和解協議で示された和解案に納得できず、判決を求める決意を固めました。前回に引き続き、なぜ遺族が判決を求めたのか。 遺族の思いや控訴審で示した証拠などを順次公開していきます。
■労働者が私物の携帯を作業現場に持ち込むことには抵抗がある。
遺族はイチエフ構内の緊急医療体制が不十分であったことを訴えてきました。東京電力は構内での傷病者発生の際にはER(救急医療室)へ架電するように指導を行っていました。しかし、忠昭さんが倒れたとき、周囲にいた誰もが携帯電話を持っていませんでした。忠昭さんが働いていた車両整備工場にも電話は設置されていませんでした。傷病者が重態であれば、ERでの治療開始は一分一秒を争うはずです。架電があれば、傷病者がERに搬送されるまでの間にサーベイ(身体汚染測定)準備や、ER職員の防護服着用などの時間は短縮できます。東電がERへの架電を指導していたのは当然です。
しかし、そのような指導を行っていたにも関わらず、実際に架電できる環境がなければその指導は意味をなしません。東電は自らが指導した内容が実施可能な体制を構築するべきでした。(当ブログの前回記事も参照下さい。)
福島地裁での判決は「1Fで勤務する作業員は私用の携帯電話を携帯することが禁止されていなかった」として、東電への損害賠償責任を否定しました。
福島地裁は、傷病者が発生した際には私物の携帯電話からERへ架電を行うことが可能であったと考えているようです。それはイチエフでの作業の特殊性を無視したものであると言わざるを得ません。
防護服にはポケットがなく、私物の携帯電話を作業現場に持ち込むのは困難です。現場に私物の携帯を持ち込めたとしても、万が一携帯電話が汚染されてしまえば構外に持ち出せなくなってしまいます。福島地裁は、作業現場の特殊性や労働者の心理的抵抗を考慮していません。現に忠昭さんが倒れた時に、周囲に携帯電話を持っている労働者は一人もいなかったのですから。
高裁での第一回口頭弁論(2021年9月16日)に先立って、弁護団は元イチエフ労働者の陳述書を提出し、地裁判決の誤りを指摘しました。
以下に元イチエフ労働者の陳述書を貼り付けます。
なお、この陳述書に対して東電・宇徳は反論を行っていません。仙台高裁はイチエフでの労働実態を考慮し、公正な判決を下すべきです。(M)
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2021年5月22日
仙台高等裁判所
民事部御中
陳述書
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私は2013年7月から翌年7月までの1年間、福島第一原発(イチエフ)休憩所内の清掃や汚染水タンク周辺での水移送や除染などの業務に従事し、2016年3月から8月までの間は1号機の配管取り付け工事などに従事しました。
2013年から2014年の間はイチエフ構内のほぼ全てのエリアでの作業が防護服と全面マスクを装着しての作業でした。そのため私も「企業登録センター」という休憩所内での作業を除いては防護服や全面マスクをつけて作業を行っていましたし、現場によっては防護服の上にカッパを着て作業をしていたこともあります。
2016年には「全面マスク省略可能エリア」が広がりました。上記のエリアは「G(グリーン)ゾーン」などとも呼ばれ、全面マスクなしで作業ができるエリアで、後には一般作業服での作業も可能となりました。しかし私が作業をしていたエリアは「R(レッド)ゾーン」「Y(イエロー)ゾーン」と呼ばれる場所でした。「Rゾーン」や「Yゾーン」は空間線量や汚染の関係で、全面マスクと防護服の着用が必要な場所でしたので、やはり全面マスクに防護服という装備で、時には防護服の上にカッパを着たり、鉛やタングステンのベストを着用しての作業になりました。
イチエフに入構する際は必ず「新入退域管理棟」に寄って、APD(アラーム付きポケット線量計)や全面マスクなどの装備品を受け取ります、その後指定された休憩所に循環バスや指定された車両で向かいます。
構内には複数の休憩所があります。「免震重要棟」などがそうです。
指定された休憩所で、ミーティングを行い、防護服や手袋、靴下などを受け取り着替えることになります。2013年に働いたときには免震重要棟から企業登録センター内の清掃業務に向かっていましたし、作業場所が屋外の汚染水タンクなどに移った時にも、免震重要棟でミーティングを行ってから現場に移動していました。
2016年に配管取り付け工事に従事していた時は、「厚生棟」などでミーティングをしてから1号機などの現場に向かっていました。
防護服に着替える際は、薄い長袖・長ズボンの専用下着を防護服の内側に着て、配備されてある靴下を二重に履きます。また綿の手袋をつけてその上に薄いゴム手袋をつけます。そうして防護服を着て、全面マスクを着けます。防護服を着ての作業では私物はパンツのみという状態になります。
最後に防護服のフードを被ります。この際にフードがはだけたり、防護服のファスナーが下がって頭部や首などの露出を防ぐために全面マスクと防護服のフードやファスナーをテープで止めることもあります。
防護服の内側に着る専用下着のズボンにはポケットがありません。上着の胸もとには二箇所、メッシュのポケットがありますが、そこには入構に必要なID(入構証)・WID(工事件名や元請け企業名などを記したカード)とAPD・ガラスバッチ(1ヶ月間の累積線量を記録する線量計)を入れます。防護服の胸元は透明になっていますので、防護服を着た状態でもきちんとID・WIDやAPD・ガラスバッチを持ち歩いているかが確認できるようになっています。そのポケットに他の物を入れて、IDなどが見えにくくなっていると注意を受けることもあります。
防護服にもポケットはありませんので、ほとんどの人は携帯電話は休憩所に置いていっていました。防護服の内側に携帯電話を首からぶら下げるなりして持って行っても、現場で使う際にはファスナーを開けて、携帯電話を取り出さなくてはなりませんので、それではフードやファスナーとマスクをテープで止めた意味がなくなります。
装備品が置いてある棚にはビニール袋も用意されていますが、それに携帯電話を入れて現場に持っていっても使う際には、ビニール袋から出さねばなりませんし、現場にはビニール袋を置いておくような場所もありません。
現場で使用した手袋をつけたまま電話を使えば電話が汚染されてしまう可能性があります。交換用の手袋を持って行っても、置く場所もありません。現場での通話中に手を滑らせて携帯を落としてしまうことも考えられます。
作業を終えて休憩所に戻る際や、構内から出る際には身体と携行品のスクリーニングがあります。そこで汚染が見つかれば、身体汚染の場合は洗浄を受けますし、携行品が汚染されていればそれは構外に持ち出すことができなくなります。
携帯電話の汚染は見たことがありませんが、私物の靴や靴下などが汚染されていて構外に持ち出せず、サンダルなどを借りて帰っている人は見たことがあります。
携帯電話を構内の作業場所で使用して、それがスクリーニングに引っかかれば、携帯電話も持ち出せなくなります。そのことを警戒して、自分も含めてほとんどの人が携帯を構内の休憩所に置いていたと思います。
企業登録センターでの清掃業務では、登録センター内に小さな倉庫があってそこが私たちの休憩所でしたので、その倉庫の中の棚に携帯電話を置いて作業をしていました。しかし、屋外の作業の場合は免震棟の小さなロッカーに携帯や財布を置いて現場に向かっていました。
厚生棟にはロッカーがなく、スチール棚に作業服と携帯や財布などの私物をまとめて置いて現場に向かう状態でした。
当時は構内の電波状況も悪く、機種によっては休憩所の中でも電波が繋がらないこともありました。
免震棟ではロッカーを使うことができましたが、ロッカーには鍵がありませんでした。ロッカー自体も誰でも通れる通路沿いに置いてありました。ロッカー自体を貸与されていない人もいたと思いますし、ミーティングをする場所とロッカーが離れた場所にあるという場合もありました。
免震棟もそうでしたが厚生棟内も床に銀マットを敷いて壁にスチール棚を置いただけの休憩所でありパテーションなどの仕切りがある程度です。そのため多くの人が自由に通れるところに貴重品を置くことになってしまいます。盗難などを警戒して、財布や携帯を構内に持ち込まず、構外の駐車場に停めた車両の中に置いてくる人もいました。
以上のように、携帯電話を現場まで持っていくことはありませんでした。そのため、現場監督や放管と呼ばれる放射線の測定員などが東電や元請けから借りたと思われるガラケーやPHSを持っていっていました。無線機をもっている場合もありました。
彼らは交代や移動する車両の手配のために電話を使用していました。熱中症などの急病人が出た際には、彼らに報告し休憩所での救護の準備や移動車両などを手配してもらっていました。
現場監督や放管なども携帯電話が汚染されたり故障するのを気にして、ガラケーをすぐに使えるよう開いた状態にしてジップロックの袋などに入れて首から紐でぶら下げたり、ヘルメットのあご紐の耳元でY字に交差している部分から紐でぶら下げたりしていました。
以上が携帯電話の持ち込みに関する実態です。当時は携帯電話の構内持ち込みが禁止されていませんでしたが、作業現場に携帯電話を持ち込むことの困難さを理解していただきたいと思います。
以上
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全面マスクと防護服のフードをシールしてもらい現場に向かう(2013年) |
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